舞台は変わり、再び待合室。エキストラの中、泰紀はこの前と同じように長椅子に腰掛ける。その様子を、遠くから美優と丈一が見つめている。
「次はこの形から始まる。おそらく、もうそろそろで始まるはずだ」
まだゲームは始まっていない。前から再び一日経っている。前と同じ規則でプレイしてくれるならば、この時間のはずだ。
しかし、プレイの合図のサイレンは鳴らない。
「マスター。今日はやらないのかもしれませんよ?」
丈一が心配そうに顔で、私を見る。
「……ふむ。そうかもしれないな。今日はやらないのかもしれない」
「決まった時間にしかやらない。たまにはやらない日がある。そこらへんから推測すると、この人、社会人か何かだと思います」
美優は顎に手を当て、一人で首肯く。
「社会人かどうかはどうでもいいんだが、プレイしないという事は……」
今日は構えなくていいのかもしれない、と言おうとしたその時、サイレンが鳴った。カメラマン伊藤の顔つきが変わる。そして、出演者達全員の顔色が瞬時に変わった。そこはもう、私達の住む世界ではなく、ゲームの中の世界になっていた。
伊藤がカメラを構え、泰紀の前に立つ。手が上がり、数秒後、下がった。
そして、ゲームは始まった。
「……」
泰紀は無い腕を見つめながら、もう片方の手で冷たいココアを口に運ぶ。そこに、美優がやってくる。姿はこの前と同じだ。その後ろには丈一の姿もある。美優はさっきよりも一オクターブ程高い声で言う。
「隣、いいですか?」
「どうぞ」
「……どうも」
チョコンと泰紀の隣に腰掛ける美優。端から見ると兄と妹のように見える。泰紀は丈一の方を見る。
「一緒にいるなんて……お前の方が早かったな」
「偶然会っただけさ。そうだよな? 美優ちゃん」
「はい。それより、またこんな所に来て大丈夫なんですか?」
「……だからいいんだって」
美優と丈一は暗い顔になる。泰紀はココアを少し飲む。
「そういえば、あれから彩……霧島さんとは会った?」
「えっ? あっ、はい。会いました。凄く思い悩んでいるみたいでした」
「だろうな。両親に会わせてくれと言ったんだからな」
「……ご両親にですか?」
美優は驚いた顔をする。泰紀ははにかむ。
「ああっ、直接事故を起こした本人達に会いたいと言ったんだ。……あの子が思い悩むのは間違いだと思ったからな」
「……杉矢さん、知らないんですか?」
「えっ? 何が?」
「先輩の両親……その、自殺したんですよ」
「……えっ?」
その言葉を聞いて、泰紀は思わず息を止めてしまう。美優は俯き、言葉を続ける。
「私が言う事じゃなかったのかもしれないと思ったんですけど、先輩の口だと言いにくいと思ったんで……」
「……」
泰紀は宙を見上げ、目を泳がせてしまう。そんな泰紀の肩を、丈一が叩く。
「泰紀……。もう許してやったらどうだ? お前も苦しいんだろうけど、彼女だって苦しいんだ。あまり……責めるのは可哀相だ」
「……」
返す言葉が見つからないのだろう、泰紀は何も答えない。
「私が、何か言いましょうか?」
「……えっ?」
美優の思いがけない言葉を聞き、泰紀は顔を上げる。美優は複雑な笑顔だ。
「本人を目の前にしたら言えない事ってあると思うんです。だから、言いたい事を私に伝えて、それを私が彩先輩に伝えるって事も出来ます。どうでしょうか?」
「……」
「私は構いません。杉矢さんのお役に立てるんでしたら」
「……」
泰紀は答えない。台詞が無いわけではない。次の台詞はユーザー様が決めるからだ。カメラの動きが止まり、伊藤が手を上げる。
「今、選択肢選んでるっす」
「……どんな選択肢だっけ?」
緊張が解けたのか、丈一が肩を撫で下ろして呟く。美優も隠れて深呼吸をする。泰紀が顔を上げる。
「大体分かるだろ? 美優ちゃんの助けを借りるか否か、だよ。借りるなら、美優ちゃん狙いって可能性が出てくる。借りないなら、ほぼ彩狙いって事だ」
「そうか……。どっちがいい? 美優ちゃん」
「狙ってほしいに決まってるじゃないですか」
カメラの横に立っている彩を横目で見て、美優は答える。
「そうかな……。緊張しなくなるんだから、そっちの方がいいと思うんだけど」
「出れなかったら、生きてる意味が無いですから」
「まっ、それはそうだけどね」
美優の冷静な言葉にも、丈一は相変わらずの態度だ。
「もうそろそろ決めるだろう。お二人さん、スタンバイ」
ユーザー様が選択肢を決めている間にしては、少しお喋りが過ぎたかもしれない。二人はさっきまでのゲームの顔に戻る。
そして、再び、カメラが動きだす。泰紀の目が一瞬だけカメラを見て、そして再び元の一に戻った。
「いや……美優ちゃんに迷惑はかけないよ。これは俺の問題だから」
「そう……ですか」
少し残念そうに、美優は首肯いた。その様子を、丈一がじっと見ている。
「美優ちゃんは、いつまで入院しているの?」
「えっ? ああっ、とりあえず今日までです。明日には退院する予定です。……それがどうかしたんですか?」
「いや、何でもないよ。ただ、聞きたかっただけ」
「そうですか……。あっ、もうそろそろ検査の時間ですから、私はこれで失礼します」
受け付けの時計を見た美優は立ち上がり、二人にお辞儀をして、そそくさと階段を昇っていってしまった。
「……いい子だな、あの子。……霧島さんとお前の事をとても心配してる」
丈一はもういなくなった階段を見つめ、誰に言うでもなく呟く。
「ああっ。だからこそ、助けを借りるわけにはいかない」
「……かもな」
「ほぼ間違いなく彩と考えていいだろう。台本も彩ルートをメインで読んでおくように」
「なははっ! 私だ私! 嬉しいな! 泰紀! 最後の盛り上がりの為にキスの準備でもしない? んーー」
彩は泰紀の頬に唇を寄せる。泰紀はそれをサラリとかわす。片手のわりに器用な奴だ。
「まあ、待ちなよ、彩。そういうは本番までとっておこうぜ」
「むー。私とキスしたくないわけ?」
「本番以外は」
「むきぃぃ! どういう意味よ! それ。ヒロインなのよ、私は」
「私情を挟むなって事だよ。選択肢が変われば、俺は別の人とも恋仲になるんだぞ。お前にだけキスはしてやれないなぁ」
「真澄さんの誘いは受けるくせにぃぃ!」
「今後の展開だと、お前とくっつくだろ? ゲームの中で初々しくしようじゃないの」
「むっ……まあ、それもそうね」
泰紀の笑顔に、彩は少し頬を赤くした。
またまた切りがいい所で、ユーザー様はゲームを中断した。基本的にどんな人も切りがいい所でゲームをやめるものだが、このユーザー様は本当にこちらがやめてほしい時にやめてくれる。こちらの事情を知っているとは思えないが、何にしろ嬉しい。
「それにしても、暗い話よね。このゲームって。今とギャップがあるから、本当に疲れちゃう」
真澄が台本を見ながらポソリと呟く。それを聞いて、彩もうんうんと頷く。
「まったくよね。私の両親、自殺している事になってるんだから。んでもって、泰紀は片腕が無くて……。救いの無い話よね」
まったくもってその通りだと思う。もしも、このゲームがコメディだったならば、私ももっと気楽に監督が出来たに違いない。
「絶望の中の愛は凄く美しいっていうテーマらしいですよぉ」
「法子さんが言っても、ちっとも感じがこもってないですよね」
「うう……ひどいですぅ」
法子は半ベソで首肯いた。……自分でも分かっているようだ。
「何でこのゲームをプログラムした人は、僕達をこんな性格にしたんですかね? ゲームと同じ性格だったら、苦労しないで済んだのに」
丈一が私を見て言う。
「私に言わないでくれ。私にだってそれは分からない。気がついたら、お前達といたんだからな」
「というか、プログラマーさん、私達の意志を意図的にやったんですかね?」
「だから美優。私に聞くなと言ってるんだ。私は何も知らん。目覚めたら、このゲームを成功させろという使命が私の頭の中にあったんだ」
本当に私は何も知らない。言った通りだ。私はこのゲームを作った人の顔も思惑も分からないのだ。ただ、気がついたら、このゲームを成功させるという使命を胸にこの世界にいたのだから。
「その事はこれ以上話しても意味が無い。今はこれからの事を考えるべきだ」
「そうですねぇ。……ええと……彩さんルートだと……ええっ! マスター! これ、本当にやるんですか?」
台本に目を落とした法子が素っ頓狂な声をあげる。
「何をそんなに驚いてるんだ?」
「ほらほら! このまま行くと、私、泰紀さんを誘惑しなくちゃいけなくなるじゃないですか! 私、そんな事出来ませんよ!」
「出来ないって……今まで読んでなかったのか?」
「読んでなかったから驚いてるんですよぉ!」
「……何当たり前みたいに言ってるんだ? お前は」
彩ルートのまま行くと、途中法子が泰紀を誘惑するシーンが出てくる。このゲームは十八禁ゲームではないので、過激なシーンは出てこないが、法子にそれなりの演技力が要求される事は間違いない。
「出来ないって言われてもなぁ。これはもう決まってる事なんだ。文句だったら、このゲームを作ったシナリオライターに言ってくれ」
「ううう……。恥ずかしいよぉ」
「いいじゃない。十八禁ゲームの子なんか結構大変らしいわよ。それに比べたら、私達なんて楽な方よ」
真澄が自販機からココアを取り出して言う。味などロクに分かるはずがないのに、どうしてこの子達は食べ物を口にしたがるのだろう。
「そっ……そうなんですかぁ?」
「そうよ。あっちのゲームって言うのはいやーんな事がメインなんだから、出来ないなんて言ったらぶっとばされるわよ。まっ、向こうはそれ用に作られてるんだから、嫌なんて言う子はいないんでしょうけど」
まるで見てきたかのように言う真澄。真澄だってこの世界しか知らないはずだ。なのに、どうしてこうペラペラと喋れるのだろうか。……不思議だ。
真澄は法子の肩を抱く。年令的にはあまり変わり無いが、性格が性格なだけに、子供とおねーさんのように思える。
「とにかく、出来ないなんて言うものじゃないわ」
「……はい。分かりましたぁ」
法子は大人しく首肯いた。
「やっと落ち着いたようだな。これからは彩がメインになるが、他の皆も気を抜かないように。特に、美優と法子はだ」
「私はそんなヘマはしません」
「私もですよぉ」
「分かってる。だが、心の緩みはどこかにあるもだ。気を抜くな、という事だ」
私はそう言いながら、これからの事を考える。
これから、泰紀と彩は歩み寄り始め、そして恋に落ちる事になる。しかし、それに対して法子が邪魔をするようになる。そして、それに対して丈一と美優が結託して、泰紀と彩の間を取り持とうとする。そういう展開の為、三人には一層の演技力が要求される。三人共勿論ヘマをするつもりなど無いのだろうが、万が一という事もある。
これからも、まだまだ忙しい日々が続きそうだ。